失 格
−Metatronia−
この朝に変わりはない。私(オノデラススム/37歳)は、いつも通りベッドから起き上がり、枕元の棚に置いていた眼鏡を掛けた。そしてコーヒーを淹れるべく、キッチンへ向かう。ヤカンに水を注ぎ、コンロに乗せて火を点ける。
強火がじりじりとヤカンを熱する音を聞きながら、ベッド脇のハンガーから背広を取って寝巻きから着替える。
ボタンをすべて閉め終わる頃、ドアを小突く音がした。
「あぁはーい。」
聞こえはすまいが返事をして、私はドアを開ける。
「おはようございます。」
そこに立っている、スーツ姿の女性が言った。私も挨拶を返す。
彼女は、この部屋を訪ねてくる数少ない人間だ。今日も相変わらず、整えられた髪の毛から足元のヒールまで、まったく隙のない正装をしている。
「どうぞ。」
私がドアノブを手放して室内へ招くと、彼女は軽く頭を下げて部屋に入った。
「失礼。」
入室した彼女にいつも通りソファを勧め、私もテーブルを挟んで反対側に座る。
「手短に用件をお話します。」
「はい。なんでしょう。」
「あなたは、神失格です。」
私が差し出した茶菓子に目もくれず、彼女はそう言った。
■
ヤカンの滾(たぎ)る悲鳴で我に返った。
「おっとと。」
慌ててキッチンに走り、火を消す。ヤカンは口からしゅーしゅーと蒸気を噴き出していた。
「・・・えっと、」
「コーヒーも結構。」
私の意図を察するように、彼女はソファに座ったまま言った。
私はそうですかそうですかと呟きながらソファに戻った。
そして彼女の顔をまじまじと見る。紛れもなく、いつもここへ来る女性の顔だ。人違いではない。違う所と言えば、いつもより口紅の色が濃いくらいだ。
「・・・えぇと、それはどういう・・・。」
「理解されていないようなので、もう一度言います。
あなたは、神℃ク格です。これまでに与えられていた権限すべての返還を申し付けます。」
「・・・。」
私は俯いた。テーブルの隙間から、カーペットを踏む彼女のつま先が見えた。
「・・・それは、・・・なぜなんでしょう?」
やっとのことで聞き返すと、彼女は淡々と説明をした。
私が神になってからも、世界はちっとも快方へ向かわないこと。戦争は未だ続いているし、差別も無くなっていないこと。治療できない病気はあるし、自殺する人間だって後を絶たないこと。
「それだけじゃありません。あれだけ早急な解決をと頼んだはずの少子化対策はどうなっているんです。」
「ええっと・・・それは、私だけの責任なんでしょうか・・・。むしろ、私がどうこうできる問題じゃない気がするんですが。」
「言い訳は止めてください。結果が出ない以上、あなたには神の座を降りてもらいます。
・・・私もこの仕事は長いですが、あなたほど任期が短かった神はいませんでした。おそらくこの最短記録は破られることがないでしょうね。まったくもって人選ミスです。自分で自分が腹立たしいわ。」
切なげな口調でそう言って、彼女はポケットから拳銃を取り出した。
「次の神が有能であることを、
祈ります。」
私も動いた。先ほどキッチンで懐に忍ばせておいた包丁を掴み、振り上げた。
逆手に握った包丁が、風を切って彼女の首筋に走る。
銃声。
「・・・うっ・・・」
肩を押さえながら、彼女は倒れこんだ。
「お互い、ハズレましたね」
後ろを振り返りながら言う。背後の壁に小さな穴が空いていた。狙いが反れた銃弾が飛び込んだ痕だった。また、私が刺そうと振り上げた包丁も、彼女の首でなく、細い肩に突き刺さっていた。
「く、ぅっ・・・」
彼女がなんとか拾おうとする拳銃を、私は足で払いのけた。足元で忌々しげに呻くその様子を見下ろしていると、笑いがこみ上げてくる。
「神を殺すなんて、赦されるとお思いですか? 勝手に担ぎ上げておいて突然責任を押し付けないで頂きたい。・・・そんなに世を憂えるのなら、あなたも身を張るべきだ」
「・・・ッ?」
「少子化対策でしたか。ならば私共も一肌脱ぎましょう」
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