平成二一年度

 

 

 

 

  ♪ 四月一日

(深呼吸)

 

私、ここに来てくれる皆さんのこと大好きです。

 

 

 

 

 

  ♪ 四月二九日

大江留子さん

 

 呼ばれたので来たのに、インターフォンを押しても応答無し。仕方なく無断で部屋に入る。

「・・・お邪魔しますからねー?」

 一応呼びかけながら廊下を通る。と、ダイニングの向かいの六畳部屋で、留子さんは逆立ちをしていた。押入れの襖を支えに使い、それにぴったりと貼りつくように。

「・・・」

 しばらく眺めてから、何をしているのかと聞く。

彼女はぷるぷると腕を震わせながら、やっとのことで口を開いた。

「・・・逆立ちですよ!」

 それは見ればわかりますよ。

「何で逆立ちしてるんです?」

「おッ・・・女の子に逆立ちしてる理由を聞くだなんて!」

「破廉恥みたいな言い方やめてください。

というか、女だろうがオカマだろうが、いきなり逆立ちしてたら理由は聞きますよ、普通」

「・・・、・・・」

 応答無し。逆立ちのバランス維持に集中するよう、留子さんは黙り込んだ。

「・・・」

 鞄を近くの卓に置き、逆立ち中の彼女へと歩み寄る。

重力に従い、ショートの髪の毛はだらんと下に垂れて畳に届いている。なのに穿いているタイトスカートはまだ抵抗を続けており、捲れることなく彼女の太腿とかを隠している。なんだか不公平を感じる。

一応、彼女の膝小僧は見える。それが白くて綺麗なのでそっと舌で撫でてみた。足元から「はうっ」とかなんとか。

 おかしくて笑いながら、「あ、糸蒟蒻買ってきましたから」となるべく平坦に言い、ビニール袋を彼女の視点に下ろして見せる。

「でかした!」

「じゃ、僕作ってくるんで。キッチン借りますね」

「ちょ、置いていくのかよ! 逆立ち放置プレイかよ! マニアックめ!」

「頼むからボケでツッコんで来ないでください」

 振り返って反対側のキッチンに向かい、料理を始める。今夜はすき焼き風煮込み料理。手早く完成させよう。

 

 

 夕食時。出来上がった料理を食器によそう。糸蒟蒻を多めにしてあげたことで気を良くしたらしく、にこにこしながらさっきの理由を話してくれた。

「逆立ちするとだねー、便秘の改善になるのだよ」

 便秘。言われてもピンと来ない。経験も無ければ言葉の馴染みすら無く。

「・・・はぁ。そうなんですか」としか言えずにいると、彼女は子供に呆れるような表情で首を振った。

「世の中にはね、君なんかじゃ想像できないような苦労があふれているのですよ」

「いやでもさっきの留子さん傍目に凄い楽しそうでしたけどね」

「・・・」

「てか、逆立ちで改善できる苦労なら楽そうなもんですけどね」

「・・・」

「コンニャクまだあるからいっぱい食べてくださいね」

「よし」

留子さんが黙ってねめつけてきても実際それほど怖くないのだが、折れてあげねばという義務感を感じ。

着替えないままのスーツ姿でおたまを手に取る彼女。豪快にネギをどけながら箸を進める様子も、生玉子を器にあげる動作もたくましい。

見てて羨ましくなり、僕も玉子を取ってテーブルに軽くぶつけた。ヒビを入れて勢いよく割ってみるが、実が落ちてこない。茹で玉子だった。

「・・・」

「・・・」

ゲラゲラとかクスクスでなくニヤニヤと笑っているところが彼女らしい。

「あの、頼むから、生玉子と茹で玉子は分けて保存しません?」

「めんどいんで」

「じゃあせめて、僕がちゃんと仕分けといた玉子をシャッフルするのをやめてはくれません?」

「ゲーム性が無くなるじゃないの」

「必要ないんですよ元々。・・・この前だって、お弁当の仕上げに茹で玉子の輪切り添えようとして、割ったら生で、床にこぼしそうになって、咄嗟に・・・ほとんど完成したお弁当に、生玉子を落とす破目になったんですから」

「エッグいねそれ!」

「・・・だから、」

「お月見弁当になっちゃったね! お花見弁当じゃなくってね!」

「ボケでツッコまないでくださいって」

 

 

 

 

 

  ♪ 六月一日

drunk2

 

 皆が余所見の指先でかき混ぜてるものに 何故だか心臓使ってる

 楽しい世界から置き去りなので 揃いの服を着ていた頃からつまらないと繰り返した

 全てを否定し全てから否定された気になっても 一日三度テーブルを汚す

 挟むものが無ければパンすら食べずミルクが無ければコーヒーも飲まず

 次の瞬間空が堕ちることを期待して 何もないまま瞼をひらく四秒

 惰弱さを優しさと呼ばれ

 卑屈さを気配りと呼ばれ

 臆病さを落ち着きと呼ばれ

 曖昧さを思慮深さと呼ばれ生きてきた私の視界で動く指

 流れるように転調し調号に副った音の並び

 「今に見てろ」と今言っている。

 

 

 

 

 

  ♪ 七月七日

大江留子さん2

 

 近くの川縁で数本の竹を発見。中でも細く枝が少ないものをノコギリで切って失敬する。

一太刀浴びせた時点で失敬だとは思いながらそれを脇に抱え、片手運転の自転車でふらふらと走る。と、道中、ビニール袋を下げた留子さんの後姿を見つけた。

ゆっくり追いついて、話しかける。

「留子さんほら、竹はOKです。そっちは?」

「・・・」

彼女はちらりとこちらを一瞥しただけで、応えなかった。

おそらく、ピンポイントのこの日に子供でも親でもない年齢で竹を抱える姿が目立つので、道行く人の視線を気にしたのだろう。そしらぬ顔ですたすたと歩き続ける。

どこまでも他人のフリをする彼女のマンションへ向かう。

 

「・・・あのね、七夕飾りをしたいって言い出したのはあなたでしょう?」

帰り着くなり言う。彼女は「いやあ」と、まるで照れ笑いするオジサンのような反応をした。

「いやあじゃないですよ・・・僕だって好きで手伝った訳じゃないのに」

「まあまあ。ほら、私だってちゃんと折り紙買ってきたから。さっそく短冊つくろう?」

「なんかどっと疲れましたよ・・・。ていうかそもそも、当日にいきなり飾るのってアリなんですか? 普通しばらく前から、何日間か飾るものなんじゃ」

「さあ? でもいいじゃない。はい、私が折り目つけるから君は切る切る!」

 留子さんが折り紙を四つに折りたたむ。僕は散髪用のカット鋏でそれをじょきじょき切った。テーブルがどんどんカラフルに散らかっていく。

「あー、なんかこういうのさ、小学校の時机を寄せ合って図工したのとか思い出さない?」

「お楽しみ会の準備とかなら思い出します。パーティー用の飾りを作る時も、確か折り紙を四つに切る作業をずっとしてました」

「懐かしいよね。ここのマンションでもね、ベランダから笹出してるとこがちらほらあって。あーいいなーって。またちょっとしてみたいなーって思って」

「それは子供がいる家庭でしょうに。なんだっていい年の二人で・・・」

「そういうのは言いっこなし」

「はいはい・・・」

 おおらかなシュレッダーのような心持ちで紙を切り、上部にパンチで穴を空けると、それらしい短冊が次々と出来上がった。早速二人でペンを持つ。がしかし、いざ願い事を書くとなると手が止まった。

「・・・願い事ねえ・・・」

 留子さんはというと、何の迷いもなくすらすらとペンを動かしている。なので僕もとりあえず、一番最初に浮かんだものを書いてみた。

 

 来年、無事大学院に入れますように

 

「・・・」

我ながら、物凄くつまらない。でもある程度の年齢を重ねた人間の願い事って、どうしようもなく切実になるのでは・・・。

「よーし」

留子さんも書き終えたらしく、ちょん切った輪ゴム紐代わりにし、短冊の穴へ通した。僕も倣い、とりあえず壁に立て掛けた笹にそれぞれの短冊を結び付ける。

 

 みたらし団子をお腹いっぱい食べられますように

 

彼女の短冊にはそう書いてあった。

「・・・」

僕は黙ってテーブルに戻り次の短冊を手に取る。留子さんも対抗するように続いた。

僕は彼女からヒントを得、願い事はいくらでもあることに気付いた。そう。ベタでいいのだ。もう基本でいいのだ。

 

 世界が平和でありますように

 

 やはりこれが基本中の基本だ。

 彼女は、

 

 ポン・デ・リングを

お腹いっぱい食べられますように

 

 と書いていた。

 「・・・」

再び短冊を手に取る。

願い事を書き、笹に結ぶ。お互いがお互いの短冊をそれとなく読み、また願い事を書くという繰り返し。

 

 差別や偏見という言葉が無くなり、

人々が平等でありますように

 

 ケンタッキーのビスケットを

お腹いっぱい食べられますように

 

 国交や環境の問題に、全ての人が

いつか団結できる日が来ますように

 

 お昼休みの時間に会社の前を毎日

クレープ屋さんが通るようになりますように

 

 食べてばかりの誰かさんの

便秘が治りますように

 

 私のプリンを勝手に食べた誰かさんの頭に

竹が降ってきますように

 

 もう20代後半なのに

たかがプリンで半泣きになるOLが

いい加減大人になれますように

 

 私のプリンを勝手に食べた誰かさんの頭に

屋久杉クラスの竹とジャイアントパンダが

さんさんと降り注ぎますように

 

 3個1パックのプリンを

当然のように2個独占するOLの

食い意地がやわらぎますように

 

 レディファーストも知らない誰かさんが

いつか何気ない優しさを持てますように

 

 いよいよ学生時代のスカートが入らなくなったOLが

これ以上丸みを帯びませんように

 

 のぞきばっかりするセクハラ大学生の

むっつりスケベが治りますように

 

 隣室まで響く声で騒ぐ自意識過剰OLの

  勝手な被害妄想が治りますように

 

 背が高くてお尻がキュッとしてて

  一流企業に勤めてて長男じゃなくて

いつもはクールだけど二人きりの時だけ優しい

そんな素敵な彼氏が誰かさんに出来ますように

 

 人を勝手にホモにする腐女子社員が

  焦るべきは自分なのだとそろそろ気付きますように

 

 悪口の掲示板みたいになった竹をベランダに出し、手摺と配水管とにしっかり結びつける。細かな愚痴を出し切ったからかも知れないが、その作業を終えた僕たちは心地いい疲労感と充実感でいっぱいだった。

 ベランダに並んで腰掛け、留子さんが折り紙と一緒に買ってきた発泡酒を飲む。

 「いやー、一仕事終えるとまた格別の味だね」

 「まあ、こんな短冊掲げて・・・むしろバチが当たりそうですけどね」

 「今頃ひっくんとおりっちは、年に一度の逢瀬かぁ」

「何そのアダ名。同級生かなんかなの?」

「やっぱアレかね。普段はメールとかで連絡取り合ってんのかね?」

 「いい加減天罰下りますよ」

 「いやさ、でもさ、せっかくの逢瀬なのに、地上のあっちこっちから願い事吊るされたりして、迷惑じゃないの?」

 「・・・確かにそうかも知れませんね。彼らにとってこそ大事な日なのに、なんでそこで我々が願い事を叶えてもらおうなんて思ったんでしょう。向こうはそれどころじゃないでしょうに」

「うむ・・・」

 留子さんは発泡酒を飲み干し、赤ら顔で立ち上がって部屋へ戻っていった。

 「なんです?」

そして若干ふらつきながら、一枚の短冊を持ってくる。

 「コレ、一番高くに結んで」

 「はあ」

 受け取って、言われた通り竹の頂点に結びつけた。クリスマスツリーにおける星の飾りのように。

 

 「・・・ねーえ、お酒切れちゃったよ」

 「ん、・・・買いに行きますか?」

 「いこ」

 「はい」

 ガラ、と戸を閉める。電気を消して、部屋から出る。

 コンクリートの匂いで満ちた階段を下り、まだ少し明るい夜へ、ほろ酔い気分で足を踏み出す。

 今日は3個1パックの安いプリンじゃなくて、チョコレートとかクリームとかのトッピングを交えた、何やら豪華なプリンを買ってみようかと思った。

 ふと見上げながら振り返ると、ベランダに飾った笹がさわさわと揺れていた。あの一番上の、金色の折り紙には、「ひっくん」と「おりっち」の名前での相合い傘とか、「LOVE×2」とか、たくさんのハートマークとかが書き込んである。

 改めて、もうセンスとか発想が昭和だと思った。

 

 

 

 

 

  ♪ 六月二五日

弓張月

 

雲に波風たてるよう   踊る闇夜に浮かぶ半月。

 

遠く弧を()ぐあの(ツル)を 指触れそっと鳴らしたい

そうして爪弾(ツマビ)くその音が 夜空を伝って響くといい

星が揺れて滴るけれど その手が(スク)い取るだろか

 

欠けた月の()頼りなく だけどあなたへ届くなら

 張りつめ絞る弦ひとつ あの弧へ結び、鳴らしゆく。

 粉雪 そっと舞い立たせ 渇いた空へ、鳴らしゆく。

 

紡いで縫って織り重ね   遠いあなたを包む沙羅。

 

弦の音  織って、 舞う更紗。

 

 

 

 

 

  ♪ 七月一四日

 

 まだ乾かない靴であなたは歩いた

 椅子に登り梯子に座った

 生きる為に死んだ名と死ぬ為に生きた名の碑

 変わらぬ虫の呼び戻す声

 的など何処にもありはしないのに

 引き金だけが十二分と

 

 白と縁と青ばかりの夏に

 あの赤が混ざらないことを願う

 涙だけが残された老人が

人を育てた手を繋いで

 とれない形を同じ手でつくる

 動くことと考えることだけが全てと笑うなら

 想うことを忘れていられるのなら

 滅んだ方がいい世界を誰もが愛した

 花や波や雲で別たないのに

 同じ星の上で別つものが愛である筈が無いのに

 

 

 

 

 

  ♪ 一〇月四日

結季の日

 

 日が移ろい最後の色を引いていく

 追うのを止めた街は覚えた色を点す

 像に代わり影が立ち 像はうずくまって影に縋る

 有れば忘れ 無ければ求めるような

 空を想わない人が往く

 命の理由さえ知る気のまま

 

 日が波うって融けていく

 己以外が恋しくて

 毎日をつらく たまに泣き

たくさん笑い 音を立てて生きて欲しいと思う

 

 奏でられそうもない優しい光へ

 何一つ届かない声で歌う。

 

 

 

 

 

  ♪ 一一月一三日

大江留子さん3

 

 呼ばれたので来たのに、インターフォンを押してもまた応答無し。やはり仕方なく、無断で部屋に入る。

「・・・お邪魔しますからねー?」

 一応呼びかけながら廊下を通る。と、ダイニングの向かいの六畳部屋で、留子さんは正座した状態でこちらを振り返っていた。

 顔にはホッケーマスク。ロフトとかのパーティーグッズ売り場に並んでいそうな、白の面にいくつも穴が開いた例のやつ。

「・・・」

 しばらく眺めてから、何をしているのかと聞く。

「おッ、女の子にジェイソンマスクを被る理由を訊くだなんて!」

「どうしてもわかりません」

「もー・・・君はほんとに仕方ないなぁ。今日はほら、13日の、」

「金曜日」

「知ってるんじゃん」

 いや、それは知ってるけど。

「というか今時、13日の金曜日だからってわざわざホッケーマスク買う人なんて、ウチの大学にも居ませんよ」

「でも今日会社でしたらウケたよ」

「すな!」

「あと今日はセクハラされなかった!」

「そりゃそうでしょう。ジェイソンっ娘なんてマニアック過ぎますから」

「ちょ、そこかよ! 今日は≠ノ突っ込んでよ! 今日も≠ネんだから」

「なんかそれも切な」

「あ、サラダ油買ってきてくれた?」

「はい。これ」

 持ってきたビニール袋の口を広げて見せると、留子さんはマスク顔のままでそれを覗き込んだ。

「ありがと。これでコロッケ揚げられるよ」

「はい。つかジェイソンのままで日常に戻ってこないでください」

「いやー、カニ缶と、小麦粉と、昨日のホワイトソースがあったからね。これはカニクリームコロッケしかないぞと思ってさ」

「どうせ僕が作るんですけどね」

「まあそういうことなんですけどね」

「その開き直り方も結構腹立ちますね」

「まあここは私の顔を立てるということで。ってね」

うまくないし。つか顔ジェイソンだし。

この人を相手にしていたらいつまで経っても食事にありつけないだろう。だからさっさと反対側のキッチンに向かうことにする。

「ちょ、また置いてくのかよ! ジェイソンマスク放置プレイなんて超絶マニアック!!」

 思ったより換気が悪いみたいで、大声出すとちょっとゼェゼェ言ってる。外しましょうよそんなんなら。

 

 調理を始める。

マッシュルームと微塵切りにした玉葱とカニの身を炒め、留子さんの作り置きのホワイトソースと混ぜる。一旦冷蔵庫でしばらく冷やし、固まったら形を作って小麦粉をまぶす。

 その間、留子さんはずっと姿見の前に立っていろんなポーズを取ったりしている。ぐおーとか言ったり僕の黒い上着を羽織ってみたりしている。

「ね。どうしたらもっとジェイソンらしくなれると思う?」

 段々フクロウのように見えてきたホッケーマスクをこっちに向けて彼女が訊く。

 僕はフライパンに注いだ油を温め、いよいよ揚げるコロッケを取り出しながら答える。

「やっぱり得物じゃないですか? ジェイソンは凶器を持ってナンボっていうか・・・。そのマスクだけじゃただのホッケーマニアですよ」

 適当なことを言いながら一つ目のコロッケを油に落とす。ジュー。うむ。丁度いい温度だったみたい。次々入れていく。

「なるほどね!」

 いいこと言う、ガッテン、と彼女は手のひらを叩く。

「確かにこのままじゃ私、ただのホーケーマニアね」

「ホッケーマニア」

 さて付け合わせは・・・キャベツでいいか。千切りにしよう。そう思って包丁に手を伸ばすと、留子さんの手と触れ合った。

「わ」

凶器≠ニ言われ、彼女は真っ先にこの包丁が目に入ったのだろう。早速試そうと手に取ろうとし、僕の手と重なったのだ。

「あ、これまだ使うんですけど」

「ああーごめんね」

 彼女は慌てて手を引いて、引き出しから別の包丁を取り出そうとゴソゴソしてる。うん。そこらへんからもうジェイソンらしくないと思う。武器を奪い合う度に譲ってたら誰一人仕留められないだろう。

「うーん・・・でもなんか足りないよねぇ」

 凶悪な雰囲気を出そうと一番大きな包丁を選んだんだろうけど、全然似合ってない。側面に和心一筋≠ニ彫られた、料亭風な包丁では無理もないと思う。ていうかまずスーツを着替えた方がいいと思う。あとこういう場合、出刃包丁とかよりも小さな果物ナイフとかの方が結構迫力出るんじゃないかとも思う。

「・・・」

 言いたいこともいくつかあるけど、高温の油を扱ってるのであまり彼女に構ってばかりいられない。フライパンに意識を向けながらキャベツを千切りにしていく。

 他にも留子さんは引き出しの調理器具でいろいろと試していたが、あとはおたまとか栓抜きくらいしかないし、何より手伝う訳でもなくキッチンをいじり回す彼女の存在が僕には段々と鬱陶しくなり、

「やっぱりジェイソンと言えばチェーンソーですよ。あれが一番似合うし凶悪じゃないですか。チェーンソーを持たないジェイソンなんてジェイソンじゃない。僕はそう思います」

そんなことを言ってみた。彼女は、「なんと、それは捨て置けん」といった顔を(多分)して、ダイニングから出て行った。しかし一人暮らしのOLのマンションにチェーンソーなんて、いくら探そうと在る訳が無い。

何にせよ追い払うのに成功。これで邪魔されずに料理できる。僕はフライパンの具合を見て、少し火を弱くした。

 

 

 キャベツも刻み終わった。キッチンペーパーも敷いた。あとは揚げ上がるのを待つだけだ。

 フライパンの前に立ち、焦がさないように注意する。そろそろいくつか取り出してもよさそうだ。そしたら次のコロッケを順々に投下しなければならない。大事なところ。

 と、

ブゥウウウウゥウン

 いきなり背後から、低い振動音が聞こえた。留子さんしかいないから彼女の仕業とわかるが・・・何の音だ?

ブイィイィイィイィイン

少しトーンを上げながら、近づいてくるのがわかる。いやいやまさか、んなアホなと思いつつも振り向けずにいると、その音はすぐに僕の真後ろにまで来た。

「・・・」

ゆっくりと振り返る。と、ホッケーマスクを夏祭りのお面のように斜めにずらした留子さんが、電動歯ブラシを派手に唸らせながら歯を磨いていた。

「超なんでやねん」

「おっ、面白いぞ今の動き」

「お前のほうが面白いわ」

「だってだって君がチェーンソー持ってなきゃジェイソンじゃないなんて言うもん。そんなの無いし、だったら音だけでもマネようと思って、そしたらこれくらいしか無かったもん。それでも一生懸命考えたんだもん」

「落ち着け二十代後半。つか、だからって歯磨かなくても」

「目の前でブーンてなってるから勿体なくてつい」

「わざわざ食前に・・・」

「いやね、正直電動バイブにしようかとも思ったんだよ? けどさすがにそれは君が引きそうな気がしてね」

「じゃああとはそれを僕に言わないで欲しかったです。聞いただけでドン引きですから。ていうかバイブ持って襲い掛かってくるジェイソンて怖すぎます」

「アッー!」

「たのむやめろ」

 

 

「いただきます」

「いただきます」

 食卓を囲う。馬鹿話のせいで数個を少し焦がしてしまったカニクリームコロッケと千切りにしたキャベツ。洗ったミニトマト。冷蔵庫に在った根菜の金平に、しそのふりかけ。

 当然のように彼女はキツネ色のコロッケばかり取るから、僕は焦げ目のついたタヌキ色ばかり取ることになる。

「おいしいおいしい。あ、これ裏コゲてた。はいあげる」

「僕もうコゲばっか食ってんですが」

「女の子にそれをワザワザ言う? そんなだからいつまで経っても彼氏が出来ないんだよ」

「もう一回頭で考えてくださいその発言。何もかもおかしいから」

「ご飯進んでないねぇ。せっかくの新米なのに」

「無視ですか。つかコゲはおかずになりません」

「私のジェイソン姿でご飯3杯はいけるでしょ」

「いけねぇよ何だジェイソン姿って。エプロンみたく言うな」

「もー、生意気言ってるとこのジェーン、ジエッ、チェーンソーンでぶった切るよ!」

「明らかにジェイソンて言おうとしたでしょ、ごっちゃになって。しかも振り切れてないし。何すかチェーンソーンて」

「名から察するに鎖の村なんだろうね」

「知らないですから」

「鎖国ならぬ鎖村。そこは外部との関わりを一切持たず、わずかな村民だけでひっそりと暮らす村だという」

「知りたくもないですから。頑張って広げないでください」

「私はその村の出身なの」

「出てるじゃん鎖ユルユルじゃん」

「いや、観光大使としてだから大丈夫」

「むしろ呼び込む気満々じゃん」

「それも実は村長の命令だったんで」

「もう一致団結で村興しの方向性じゃないですか」

「あー、その時確か一日村長だったからなぁ」

「自分たちだけで充分盛り上がってるしその村」

「うむ」

「ていうか留子さん」

「ん?」

「こないだハロウィンでしたよね」

「と聞くね」

「それは何も無くスルーでしたけど、つまり完全に忘れてたんですよね?」

「もうね、あれは素でだったよ」

「素でかよ。もうずっと素でいてくださいよ」

「その分今日をひつこくしてみた」

「イヤな配分だ」

「まあ今日はごくろうさま。食べ終わったらアイス食べていいよ。ハーゲンあるから」

「マジですか。じゃあいただきます。ごちそうさまでした」

「速いな君」

「まだ食ってねぇよ。アイスいただきます。ご飯ごちそうさまだよ」

「あーあたしのお皿も持ってって。あとアイスもあたしの分持ってきてね」

「それが狙いか。ていうか留子さん毎日甘いもの食べてるでしょ? 糖分とか大丈夫なんですか」

「いいんだよ。OLの身体はハーゲンとクレープとクロワッサンとプリンとカントリーマァムとバファリンで出来ているんだよ」

「それは知りませんでした。これからも頑張ってください」

「・・・最近、」

「はい」

「君のつっこみが痛くなった」

「まあ今のはつっこみですらありませんけどね」

「ひどいよう痛いよう」

「バファリン使ったらどうでしょう」

「どうして急にバファリンが出てくるの? 別に頭痛とか言ってないし。変なの」

「すごいイラッときた」

「そういう時、チェーンソーンの村人だったら」

「いい。引っ張んなくていい」

 冷凍室を開ける。初秋から換えていない少量の氷と、タッパーに詰められたご飯と、冷凍ピザと、大量のアイスクリーム。

「あ、クリスピーもある。僕これ食べたこと無かったんですよ。貰いますね」

「君はラムレーズンだよ」

「決定済みですか」

「そう。君はラムレーズン」

「自分が好きじゃないからって・・・」

「箱買いしたら入ってるんだからしょうがないじゃん。私はメイプル、君はラムレーズン」

「・・・それ、単に語感で気持ちよくなってません?」

「もうバイブしてないよラムレーズン」

「股間じゃねぇよ。もうって何だ」

 食器を水に浸けてから、二人でハーゲンをつつく。

 留子さんは、小さなアイスのカップに合わない大きなスプーンを咥えたままテレビを眺めている。

「・・・あ、そうだ。留子さん」

「劇団ひとりの奥さんって千原ジュニアに似てるね」

「いや知らないですけど・・・ねえ、」

「ていうか最近の品川は何なのほんと?」

「もうシャレで済みませんよね。じゃなくて、ねえ留子さん。知ってます?」

「なんだい」

「例のジェイソンが出てくる映画。13日の金曜日≠ナ、」

「うん」

「ジェイソンはチェーンソーなんて一度も使ったこと無いんですよ」

「へ?」

「もっぱら斧とか鉈でして」

「・・・マジ?」

「マジです。僕映画マニアなの知ってるでしょ」

「・・・」

「・・・」

「・・・こうして、」

 どうした。

「チェーンソーン村は地図から消えたのだった!」

「帰っていいですか」

「あ、待ってお願い。お風呂沸かしてって」

「いい加減にしなさい」

 

 長っげんだよ。

 ボケ倒しは体力使う。ていうかなんでこんな文章書くためにウィキペディア何回も見てんだ僕は。

 

 

  ♪ 一ニ月二六日

letter

 

薄く透き通る風の色が 重なりいつか空を描くように

極光めいてうつろう 蒼穹に触れて

指の跡にまで滲む 優しさに伝う

過ぎる葉擦れの一時を君に。

 

月と生まれた波の音が 続く潮の確かさで呼ぶように

夕凪を終えた飛沫を追って

泡沫と混ざる絵筆に香る

海鳴りに揺らす一節を君に。

 

そして注ぐ カーキへ伸べた手に

笑みも涙も零していい

溢れる時 添う手の一対を君に。

 

遂げずにさえ想い

果せずにさえ誓い

叶えずにさえ願う

 

花の最初の一片を  雨の最後の一滴を

虹の最初の一筋を  星の最後の一粒を

薄く確かな群青を  深く遥かな群青の君に。

 

擁くいつかのあの青と君に。

 

 

 

 

 

  ♪ 二月三日

大江留子さん4

 

 呼ばれたので来たのに、インターフォンを押してもことごとく応答無し。そっとドアを開け、無断で部屋に入る。

「・・・」

 そして無言のまま音を立てずにドアを閉じ、忍び足で廊下を歩く。

 と、ダイニングに辿り着く寸前で、突然背後から物音がした。慌てて振り返ると、洗面所から留子さんが飛び出してきた所だった。

「くっ、鬼は・・・あれ?」

 踏みとどまる。留子さんもまた、

「そ・・・と?」

 高揚した表情を、徐々に虚を衝かれたものにした。

 そしてお互いに問う。

 

 

 

「冷めるなぁ!」

 と留子さんは憤慨した様子で、手元の柿ピー(投げるつもりだったらしい)をバリバリ食べている。

「私の家なんだから、キミが鬼役に決まってるじゃん!」

 僕が持つ大豆はそうはいかないので、とりあえず袋を抱え直して反論する。

「いいえ。今までの流れから言って、留子さんがお面を被るのがあまりにも自然な成り行きですよ」

「なにぃ? 大体、今時スーパーで福豆買ったら、お面なんて当たり前についてるでしょー!?」

「そこですよ。メインは福豆を買ってくることだった訳で、つまり初っ端から僕が鬼で始まるなんて考えにくいでしょう」

「・・・もー、せっかく待ち伏せしてたのに」

「僕だってほら・・・いつでも投げれるように袋ちょっと開けて、手突っ込んで歩いて来たんですよ?奇襲に備える警戒レベルで」

「私だってありったけの柿ピー持って待ち構えてたもん! さっき早とちりして、管理費の集金に来た大家さんに思いっきり浴びせちゃったけど」

「・・・」

「ある意味達成したのかなって、ちらっと思ったよ!」

「僕も若干思いました」

「節分に豆を投げるのは、マメツ、つまり魔滅≠ゥら来てるらしいからね!」

「へえ・・・博識ですね」

「今日会社で調べてきた!」

「仕事をしてきなさい」

「貸せっ」

「あ」

 福豆の袋を奪い取り、彼女は鬼の面を被った。・・・また全然違和感が無い。

「似合いますね・・・」

「・・・悪い子は居ねがぁ!!」

「それは明日」

「くらえ! まめ! まめ! 魔滅ー!」

「おわ、ちょっと、イテ、こら! 鬼が投げるか!」

「まめ! マメ! 豆ぇ! 肉刺ぇ!」

「字! 字が違!」

「かさぶた! くつずれ! 水虫! 魚の目! 貧乳!」

「悩み、それ悩み! 節分豆だから!」

「よし! ならばせつぶんまめ! 節分豆! 接吻魔滅!」

「その祓い方怖い! 痛っ、ストップ。 留子さんストップ! ちょ、大江! 止まれ! 大江!!」

「む・・・」

「まったく・・・鬼に豆投げられたらもう僕にポジション無いでしょう? 豆投げてくる鬼に見つかった人≠カゃないですか」

「そうは言うが・・・」

「・・・なんですかその返事。中々言いませんよこんなこと」

「わかった。じゃあキミはジェイソンマスクを被るといいよ」

「一体何故」

「鬼とジェイソンで東西対決しよう。豆をぶつけ合って、先に相手を再起不能にした方の勝ちね!」

「・・・」

 

 

 

「そらぁ! そらぁ! そるぁあ!!」

「痛っ、ちょ、マスクの穴にねじ込まないでください!」

「ホラァ! ホラァ!」

「息が! 息があ!」

 

 

 

「・・・」

「・・・」

「散らかったね」

「ですね」

「・・・ん」

「・・・?」

「あ、これまとめて踏むと足ツボにいいかも」

「まじですか。ていうか乗らない方が」

「・・・」

「いいですってば」

「・・・わっ、たたた」

「ああ、ほら」

「うむ・・・」

「・・・」

「・・・ねえ明日さ、豆腐ケーキみたいの作れない?」

「あー・・・どうでしょう。いろいろ道具要るんじゃないですか」

「豆乳つくるやつあるから、それでなんとかなんないかな」

「うーん。可能性はありますよね。でもどっちにしてもレシピは必要ですよ」

「じゃあ明日会社で調べてくる!」

「仕事をしてきなさい」

 

 

 

 

 

  ♪ 二月一四日

大江留子さん5

 

「・・・呼ばんかい!」

 

 

 

 

 

  ♪ 二月一五日

大江留子さん6

 

「いやね、ホント昨日が忙しかったんだよ。仕事が山積みでさ」

「鼻血を拭きなさい」

「だから今日になっちゃったけど・・・別に、14日過ぎのセールを狙ってた訳じゃないんだよ! これはちゃんと前々から買ってたチョコなんだからね!」

「鼻血を拭きなさい」

「そして私も食べてるけど、キミ一人に食べさせるのも居心地悪いかなって気遣って、付き合いで食べてるんだから。そこんとこ分かってよね!」

「鼻血を拭きなさい」

「あとトリュフは私に頂戴ね」

「鼻血を拭きなさい」

 

 

 

 

 

  ♪ 三月三日

てて。

 

 笑うに瞳が空っぽで 泣くには胸が窮屈で

 きっと心から頷けることなんて一度もないまま生きていくことになりそうで

 思い出すことと思い浮かべることしかない今

途切れずにあるのは痛みだけの今に

 うずくまってやり過ごす眠りの中

 君が笑う夢を見た

 

 あの頃と比べると静かだけど やさしく生きたいと思い

 子供のように抱き合っては 笑って交わせる約束ばかり

 長く たいせつに手を繋げるとよかった

 ただ僕には温かくて

 

 

 

 

 

  ♪ 三月三〇日

―――――――――――――――――――――――――――ps

 

 胸の奥に閉じたまま 随分遠ざかった時間

振り返れないうちは強くなれそうにないし

 僕が僕でいる限り二度と会えそうもないね

 

 張り裂けぬ方法としては残らないよう もう声で掻き消すこと必要もないから

 その傷を真似 同じ場所を裂く他なかったけど

 必要なくなったのなら もう安らげるのならよかった。

 

 

 

 

 

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